神様のために生きるとは?自分が中心の人生ではなく、神様を人生の真ん中にして生きる生き方を実践してみよう!
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A Christian's Possessions
クリスチャンだけの資産 税の徴収人が、ある貧しいクリスチャンのところに税金を徴収をしに来て質問をした。 「あなたはどのような資産をお持ちですか?」 「私には10の資産があります。」 「ではそれらをリストにしてみてください」 「はい、1番目に、私には永遠の命があります。ヨハネ3:16 2番目は、私は天国に住居を持っています。ヨハネ14:2 3番目は、私には完全な平和があります。フィリピ人4:7 4番目は、表現できないほどの喜びがあります。。1ペテロ1:8 5番目は、決して滅びることのない愛があります。第一コリント13:8 6番目に、私には心から信頼する伴侶がいます。箴言31:11 7番目に、そして健康で、幸せで一杯の子供たちもいます。出エジプト記20:12 8番目に、私には親密な真の友達がいます。箴言18:24 9番目に、夜、神の歌が私に注がれています。詩篇42:9 10番目に、人生の王冠があります。ヤコブ1:12」 税の徴収人は記帳を終えると、ノートを閉じてこう言った。 「あなたは真に豊かな人です。そしてそれらの資産は税金の対象にはなりません。 全ての人がこのような豊かさを持つようになることを祈りたい。」 これが本当の意味の「リッチ=豊かな恵み」だね。神からの頂き物をすなおに受け止め、神を賛美し、愛することが永遠の豊かさとなるんだ。 「謙そんになって主のもとに帰る人に、主は最高の道を教えてくださいます。」
詩篇25章9節 聖書にあるように、神様は最高の道を教えてくれると書いてあります。 しかし、誰でもということではなくその条件も明確に書かれています。 「謙そんになって」 つまり、高慢な人は神様に行く道を聞くこともないだろうし、もし聞くようなことになっても高慢な態度では神様の言葉は受け入れる態度になっていない。 それでは「謙そんになる」にはどうなるべきなのか? 日本の社会には頭を下げれば事は済むような風潮がある。心ではどう思ってもとりあえず頭を下げることによって謙そんな態度を見せろという社会だ。その理論もわからなくはないが、人は外側を見て、神様は人の内側をみるという言葉にあるように、人はだませても神様をだますことはできない。ということは「謙そんになる」にはまず 「自分では10年後のことはおろか、5年後のこと、いや来年のことすらわかりません。私自身が迷える子羊そのものです。神様わたしをどうか良い方向へと導いてください」 という自分自身の限界を認め、本当に神に助けを求めるへりくだった態度が必要なんだよね。 これがまず非常に大切な一歩なんです。 (今日の祈り) 神様、今私たちが抱えている問題は、私たちが思うように問題が相手にあるのではなく自分自身にあることを素直な態度になれますように、私たち自身をあなたの聖霊の力で造りかえてください。そのような謙そんな態度を私たちに植え付けてください。尊き主イエスキリストの御名によってお祈りいたします。アーメン 「もしあなたがたがこの世のものであったなら、世は自分のものを愛したでしょう。しかし、あなたがたは世のものではなく、かえってわたしが世からあなたがたを選び出したのです。それで世はあなたがたを憎むのです。」 ヨハネ福 15:19
自分は選ばれているってことは、何であっても自尊心がくすぐられるよね。自分にそこまでの力量があるなんてとても思えないが、他人が自分の気付かないところを買ってくれているなんて素晴らしいではないか。ましてやそれが大きければ大きいほど何とも素晴らしい気持ちになる。学校でも、職場でも同じことです。だけど地位、位、権力で生きていかなければならない人間社会にいると、多くの人があなたという存在が生まれた時から神に選ばれているなんて考えたこともないかも知れない。しかし上の聖句には「あなたはわたしが選び出した」と書いてある。大事なことはそのことを認識すること。そしてそのことを神様に話すこと。そうすると神様は喜んであなたに答えてくれます。 今日の祈りー 「天の神様、私は今まであなたの祝福を気付かないで生きてきました。私をあなたの家族の一員として造って下さったことに感謝いたします。これからは私が中心ではなく、あなたが中心として生きていくことができますようにどうか私の心が大きく開くことができるよう私を造り変えてください。この祈りをあなたの御名によって祈ります。アーメン」 # by davidlee | 2007-07-03 01:03 天地万物の創造主の存在を大前提として書かれている「聖書」は、どれほど信頼できるのであろうか。ここに世界の有名人の聖書観をいくつか紹介する。
・アブラハム・リンカーン: 「聖書は神が人間に賜った最もすばらしい賜物である。人間にとって望ましいものはすべて聖書にある」 ・ジョージ・ワシントン: 「神と聖書なしにこの世を正しく統治することは不可能である」 ・ウィンストン・チャーチル: 「私たちは確信をもって、聖書という『ゆるがない岩』の上に憩うのである」 ・マハトマ・ガンジー: 「私の生涯に最も深い影響を与えたのは新約聖書である」 ・イマヌエル・カント: 「聖書の存在は、人類がかつて経験したうちで最も大きい恵みである」 ・ヴォルフガング・ゲーテ: 「もし獄につながれ、ただ一冊の本を持ち込むことを許されたなら、私は聖書を選ぶ」 ・アイザック・ニュートン: 「いかなる世界の歴史におけるよりも、聖書の中にはより確かな真理が存在する」 ・トーマス・エジソン: 「聖書だけが私たちに救い主(イエス・キリスト)を示してくれる。それゆえに、聖書は私たちの全生涯を造り変えることができる力の源泉である」 ・相対性理論を生み出し、二十世紀最大の科学者と言われたアルベルト・アインシュタイン「私は神の天地創造の『足跡』を探していく人間である」 ・トーマス・エジソンも、「宇宙は実に全能者の意志の偉大なる成就である」 これらはほんの一例にすぎないが、聖書はあらゆる分野における世界の偉大な人々によって、最も信頼できるものとして信じられているのである。彼らは天地万物の創造主を信頼することによって、大きな問題に取り組んで、これを解決してきた。 ーアイザックミツオさんのウエブより
「子どもたちよ。私たちは、ことばや口先だけで愛することをせず、行ないと真実をもって愛そうではありませんか。」 1ヨハネ 3:18
人は一人では生きられない。誰にでもお世話になっている特別な存在の人がいる。そのような方々にあなたの感謝の気持ちやいつも愛してくれている気持ちをを伝えることは大事なことだよね。「愛」を伝える基本の形は「言葉」だけど、言葉だけでは足りないことが多くある。バイブルはこの1ヨハネ 3:18 のように、「行い」を持って行いなさいという聖句が多くある。また愛の行いとはこれぐらいにまでしておきなさいとは書いていない。ということは、あなたが愛という看板を肩にかけて「歩くラブマシーン」になってもかまわないということだ。いや、むしろ神はその方が喜ばれるであろう。あなたが職場に入ってきた時に、「愛さんのご出社だ!」とよばれるぐらいになれたら、きっとあなたの人生は大きな人生を遂げるだろう。(私のもね...) 聖書の雅歌 8:7には愛についてこのようにも書いてある。 「 大水もその愛を消すことができません。洪水も押し流すことができません。もし、人が愛を得ようとして、自分の財産をことごとく与えても、ただのさげすみしか得られません。」 今日の祈り 「天のお父様、わたしは自分の人生を最大に生かして生きてみたいです。私の仕事、友人関係、家族関係など全てのことにおいて私をいう愛を見せられる人にしてください。あなたがわたしを愛してくださったように、他の人を愛することが出来る私に作り変えてください」アーメン
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